2011年12月25日日曜日

プレイステーション・ヴィータの衝撃のゲーム能力

プレステーション・ヴィータは、従来まではゲーム機の「サブセット」的な位置づけに甘んじていた携帯ゲーム機と、大型テレビゲーム機との垣根を取り払ってしまう、夢の新世代モバイルゲームマシン。
んー。クリスマスにこれを贈答出来るなんて、しみじみ嬉しいですね。
ヴィータの記事が続きますけど、発表以来、待ち焦がれて手に入れたマシンだけにその姿を見たり名前を聞いたりするだけで嬉しくて嬉しくて・・・。うきうき弾んだ気持ちが跳ね回っていて、筆が進んでしまう事をお許しください。


さて、そのクリスマスの記念に、このヴィータの衝撃のゲーム能力について少しだけ記事を書かせて頂きたいと思います。

Play Station Vita、プレイステーション・ヴィータは、従来までの液晶ではなくて、新世代の高解像度有機ELモニタを搭載しています。
色の美しさ、視野角の広さはすぐに分かりますが、その威力は「残像が(実質)出ない」という部分に遺憾なく発揮されます。

液晶だと、たとえばシューティングゲームやレースゲーム等で顕著ですが、動くグラフィックスが残像によってぼやけてしまいます。静止画のままのクッキリした姿のまま動く事は出来ないわけです。
しかし、ヴィータなら有機ELによってそれが可能です。


静止画のグラフィックの解像度のまま、高速で流れていくグラフィック。文字のテロップなどが流れる時にもその威力は感じ取れるはずです。

PSPと比較出来るものであれば、ナムコミュージアムVOL.2の名作「ゼビウス」や「ドラゴンスピリット」なんか良いかも知れません。背景や敵の弾丸が、静止画のままの形を維持したままで流れていくさまは、一度それに気がついてしまえばもう「すっげぇ」の連発だと思います。小さな敵の弾や、当たり判定のある細かい背景の隙間を、残像に邪魔されずに目で追いかける事が出来るようになったわけです。
これは、かのブラウン管だけが持っていた特長であり、薄型モニタが失ったものでもありました。
それが、薄型モニタがいよいよ有機ELになって失ったものを取り戻したわけです!!

単にスペックの数字が高いとかそういうレベルではなく、今まで無かったものが新しく生み出されたという意味において、ヴィータはまさに新世代、次世代を名乗るにふさわしいスーパーマシンと言えるでしょう。というか、今までの次世代はただの言葉のあやで、本物の次世代がようやく誕生したと言い換える事も出来るかも知れません。
有機ELの色の美しさについて、もう少し書かせて頂きたいと思います。

プラズマテレビと同じく、画素が自分で発光します。バックライトの力は借りません。
この「画素が自分で発光する」という部分がすべからく色の美しさの源泉になっています。

基本中の基本である「黒」。この黒を本当の意味で出せるモニタが有機ELです。
自分で発光しているのだから、画素を消灯すればいいのです(このためにすさまじい技術開発がなされているのが有機EL)。
液晶は、バックライトによって常に照らされているために、実は黒を作る事が出来ていません。

太陽の黒点がそうであるように、他の色と比べて「黒のように見える」だけなのですね。
黒の部分を指で囲んで見てください。実はグレーだったりします。
それに、こんなこともあります。

寒い東北も、電力会社によって節電が要求されています。それに応えるため我が家では自室のエアコンを封印。夜中は、あんまり寒いので布団をかぶってモバイル機器を操作する毎日です。こんな時に、液晶は黒がグレーに光り輝くために辛い。黒が本当に闇の姿になる黒として表現される有機ELは、ヴィータの威力の一つとして強く感じられますよ。

ヴィータOSのベースとなっているであろう「FreeBSD」というOSに関しての知的財産の表記などを読むと、背景が黒いのですぐに体感できますね。

ヴィータは、映像だけでなく、極めてよく研究された優秀な操作性、本体のホールド性の良さなど、モバイルでありながらメインのゲーム機となるための高い志を秘めた「新生ゲーム機」でもあります。このあたりについては、また別の機会に書かせて頂けたらなぁと思っています。

このヴィータ、まだまだ未成熟な点が多いゲーム機ですが、高度な技術の集合体であり、それに関わった全ての技術者の方に最敬礼です。
PSPという「実績」から考えれば、どんどんアップデートで強化・安定化して行くのは確実で、将来が本当に楽しみ。

ヴィータと共に寒い東北の冬も心熱く乗り切れそうですよ。