2015年7月25日土曜日

Xperia Z Ultraと、PowerShot SX710 HSはベストコンビ? ポケットカメラがスマホカメラを超える時!!

現在、手軽なスマホカメラの隆盛によって、小さなカメラ専用機、コンパクトカメラが存在意義を失いつつあり崖っぷちに追いやられている感がありますが、密かに大逆襲が始まっていました。

なんと、カメラの方からスマホ本体を活用し、逆にスマホカメラをいらなくしてしまう!!という方向性です。


PowerShot SX710 HSの背面には、スマホ・ボタンが付いており、ここを押すと、あらかじめスマホ側で起動しておいた「Camera Connect」というアプリと通信して、あたかもスマホのカメラのように振舞う事が出来ます。

接続の手間が入るので、完全にスマホカメラのようなお手軽さには至らないのですが、本物のデジタルカメラをスマホカメラとして使えるわけで、特にカメラの性能があまり大した事のない私のXperia Z Ultraなんかは、もう完全に渡りに船の喜びです。


一旦カメラと接続してしまえば、Xperia Z Ultraの内蔵カメラでは、とても不可能な性能のカメラでもってバンバン写真が撮れてしまいます。

リモート撮影なんかは、最初はやっぱり「うぉっ!!すげ!!」と声が出てしまうくらいインパクトがありますね。

特に、撮影の自由度は、液晶とカメラが完全に切り離されて別々に完全フリーで動けるため、内蔵式バリアングル液晶の比ではないです。

接続までの手間があるから、常用出来るかって言うと厳しいですが、とにかく、一旦つないでしまえば、これはもう羽ばたく鳥のように自由です。


キヤノンの場合は、以前はEOSとEOS以外のカメラでアプリが別々でしたが、今や「Camera Connect」に一本化され、かなり使いやすくなっています。

リモートの最中でも、ある程度カメラの設定も変えて行けるし、かなり楽しい。

Xperia Z Ultraだと、元々の液晶の品質が高くてデカイので快適快適。


Xperia Z Ultraのカメラはかなり頑張っているのですが、やはり、本格的に「写真」として残すとなると、そこまでの画質は無いために辛いものがありました。

androidマシンとしての便利さと、本物のカメラの能力が一体化出来る、このアプリ連携はかなりのインパクトです。

スマホが他のものを駆逐するという流れは変わらないかも知れないですが、逆に、ついに、スマホが、都合よくその便利な機能だけを他の機器から利用される時代の到来もあるんだなぁと。


顔は写せないので、私の肩口と、クルマの助手席の黒いヘッドレストだけボヤっと写るアングルにしてますが、セルフィー・自撮りなんかは、もう全く世話がありません。

カメラと液晶が完全にフリーで別々に行動出来るので、どんなアングルだろうとも自由自在。

ただ、PowerShot SX710 HSくらいの、広角25mmレンズとか装備してるカメラなら、あたりが全部画角に入るんで、別に(自撮りで)液晶見えなくてもいいんじゃないかという気はします。

ただ、厳密なフレーミングが必要だったり、自分入りの集合写真なんかでは、手元の綺麗な液晶でもって、完璧に構図確認可能なリモートは無類の威力を発揮するでしょう。


(※実際にXperia Z Ultra連動でツイッターにアップした写真です)

ちなみに、別にリモート撮影しなくとも、あらかじめPowerShot SX710 HSで写真をさくさく撮っておいて、後からXperia Z Ultraで写真をツイッター等にアップロードというのもカンタンだし、むしろそっちがメインなのかなという気がします。

撮影は本物のカメラで、撮った写真はXperia Z Ultraでパッとアップロード。

カメラと情報端末、それぞれの専門分野を活かし、本職同士が協力し合うのはやっぱり強大です。


単純に画質の面から言っても、やはり本物のデジタルカメラは良いなぁと。

大げさに言うと、今日から、無印映像エンジン搭載でしかない、私のXperia Z Ultraのカメラが、25-750mm光学30倍ズームキヤノンレンズ搭載、映像エンジンは最強のキヤノンDiGiC-6に大激進化した!!みたいな脳天直撃っぷり。

しかも、別にPowerShot SX710 HS専用ってわけじゃなくて、EOS M2とかの、もっともっと高画質コンパクトEOSすらもこの座をものに出来る!!

スマホ側もより高画質カメラを出してくるかも知れないですが、仮に出たとしても、どうなのかって話しです。

どうしても電話会社との契約が付いて回る製品だから、自由に買えないものだし、そういうのにギャンブル的に賭けるより、既にあるカメラで高画質をもう楽しんでおく方が全然良い。

スマホは、何かだんだんと位置づけが変質して行くような気がする。